谷川俊太郎の詩を、よく読みます。
ふとした時に、繰り返し読みます。
その度に、感じ方が変わります。
毎回、新しい、初めて読む詩みたいに感じます。
そのとき、自分の中身が変化をしているのかな、とも
思います。
…歳をとってゆくからなのか、ただの、そのときの心のあり方なのか
わかりません。
それにしてもどうして、こんなにも俊太郎さんの詩に心を引き付けられてしまったのか。
それは、谷川さんの、ひとつの言葉からでした。
  「言葉は不完全だ
   言葉で100パーセントなにかを表現できるとは思ってません」
…これで私がどれだけ解放されたことでしょう。
自分が詞を書く時に、いつも苦しんでいたものの
すみっこをつつかれました。
私は、作家ではありません。
作家になる必要はないのです。
    
     「日常は、散文ではなく、詩に近い」
…こんな事も、彼は言っているのです。
なんか、解るような気がしませんか?
イメージ
詩は、空ではなく、雲のようです。
途切れ途切れに 浮かんでるんです。
生まれ消えていくんです。
こころに、いつのまにか届いている 言葉 がある。
届いた瞬間には もう心の一部となって、
言葉ではなくなっているかもしれないけど
そんなとき、「つながった」と、言葉で発するでも無く、
まるで浮遊物のように、心のどこかに潜むんだろう。
こころはこころ、言葉は言葉。
コトバ
心の旅は、いつまでも続きそうです
俊太郎氏とともに
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