さてさてちょっと(っていうかだいぶ)前の話ですが…
記憶がおぼろげになる前に書いておこう(笑)と思いまして。
京都滞在中の空き時間を見計らって、「大エルミタージュ美術館展」へいってきたんです。
ちょうど3月中旬から、京都市美術館に来てたんですね。東京でやってるときからずぅっと行きたい行きたい騒いでいたのに行けなかったので、偶然にも京都で観れるなんて、大ラッキー★でした。
エルミタージュは、ロシアの美術館。
エカテリーナ2世が私的に建立したそうです、おおもとは。
それにしても、絵をこんなにも集中して観るということは久しぶりでした
どっぷり、世界に入り込んでしまったよ
展内は
「実風景や現実」を描いたセクション、
「理想の世界」を描いたセクション、
というテーマに分かれていました
(もうひとつくらいテーマがあったかな?と思いますが)
特に私が執着したのは後者の「理想の世界」ほうでした。
理想の世界…当然そのころの画家たちはそれより後の未来世界に思いを馳せていたに違いありません。
約100年前に描いた未来ですよ?なんだかわくわくしちゃいますよねっ
その時―ふと、私の脳裏にはあの有名な1フレーズが浮かびました。
「あの頃の未来に ぼくらは立っているのかな」
スガシカオさんの「夜空ノムコウ」の一節ですよ、はい。
…誰が、今のこのような世界に辿り着くと、想像していたでしょうかって
…誰が、携帯で動く映像を見てるなんて、想像したでしょうか
なんて少しそれた話まで考えてしまいましたよ、はは。
―それからひとつの絵に心を奪われました。
それは、ポール・ゴーギャン作「果実を持つ女」
ポール・ゴーギャン「果実を持つ女」
ゴーギャンは、フランスよりタヒチに移住して、タヒチにて生涯を終えたひとです
空の色、土の色。
この場所でなかったらこんな色は描く事は無かったのでしょうね。
(本物はここに見る色彩とは比べようも無いほどの鮮やかさ、鋭い光と影でを感じました…)
たしかゴーギャンの移住の動機のひとつには、あのゴッホの耳きり事件があったと聞いた覚えがあります。
精神的にだいぶ追い詰められた末の行動なのでしょうか。。
ところでこんなにも楽園を思いっきり楽園らしく鮮やかに描き切っているこの絵を見つめていると、実に人が求めるべき世界というものを考えさせられてしまいます。
まるで大事な赤ちゃんのように大事に腕の中に抱えられた果実。私が今居るような世界においては、このような風景を切り取る事は皆無に等しいとおもう、たぶん。
自然と生命の大事さを、このひとつの黄色い果実に見たような気がしました。
そしてまた、先ほどの「夜空ノムコウ」のあのフレーズを思い出すんです
「あの頃の未来に ぼくらは立っているのかな」
…百年前の画家たちが想像していた百年後の世界は、どんなだろう
そして私たちはその世界を少しでも作り出してきたのかな、ということを考えると、胸が痛くなってきます
今この瞬間にも、相変わらず地球は破壊され続けて、その上に人は死に
幸せそうな人たちは消費しすぎてまた地球を壊していると
言える立場でないかもしれない、この私にも解ります。
本当の進化って、なんだろう。
そしてこんな思いを利用したくないと思ってもこれを歌にしてしまう、歌い手の悲しい性がここに。
―わたしのなかに。
ということでまた、曲をうみました。
汗をかきかき
最近急に暑いですね
やはりこれでしか表現できないです!
…と画家たちもみんなみんなそう思っていたのかな

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