大切な音楽仲間の、一周忌です。
私にとっては、京都での活動の拠り所と思っていた方です。嵐山のスタジオのオーナーさんであり、バンドのギタリストであり、ほぼ同い年で、音楽の諸々の相談相手であり、そして、ギターサポートをしてもらった事も何度もありました。大西研治さん。京都嵐山法輪寺D-K LIVEも一緒に出演した。同場所での「空フェス」というイベントでもサポートしてもらった。高の原、富山高岡のインストア、木曽川インストアライブもサポートしていただいたな・・。思えばたくさん。

嵐山界隈の、中堅の柱、的な存在でおられたように感じます。私は嵐山では「よそもん」ですが、きっとそうなんだろうなと思ってました。大西さんは嵐山商店街の活性のために奮闘されていて、世代間の繋ぎ役で、ここ数年は特に、とてもしんどそうだなあと思った事もありました。どこでもそうだと思いますが、「慣習」を変えていく事は、抗うことでもあるし、相当なパワーが必要です。

加えて新型コロナが襲い、嵐山は、青天の霹靂。本当に大変な日々が続いていた中、2020年の夏に、「このままではあかん。」と大西さんが企画して復活させてくれた「嵐山音楽祭」。

この音楽祭は、嵐山でずっと毎年秋に開催されてきたイベントでした。私が初めて参加させていただいたのは・・多分、2009年とかそれくらい。そして2010年1月にハイチ大地震が起こって、そのチャリティ企画として「嵐山版・We Are The World」を、嵐山音楽祭にゆかりのアーティスト達で制作しました。大西さんは製作委員会の中心人物であり、そのレコーディングが行われたのが大西さん経営のスタジオ「音空間」だったのです。
それがまさしく、大西さんとの出会いでした。

その後も音楽祭は続いていくのですが、2018年に襲った台風21号により嵐山界隈は大きな被害を受けてしまって、2018年秋、2019年秋の音楽祭も中止となっていました。

・・そんな経緯があって、だからこそ大西さんは「嵐山音楽祭」にはとても思い入れが深かったんだとも思います。2020年夏に少しコロナの波が落ち着いて、「よしここで、音楽でひとつ、少しでも盛り上げたい。」との連絡をくださって、私は出演を快諾しました。

会場からステージからボランティア集めからアーティストブッキング諸々・・きっと、殆どお一人で背負っていらっしゃったんじゃないかなと思う。でも先輩世代からも同世代からも、後輩達からも本当に慕われていたから、PA音響も、若いこれからの卵たちが生き生きと張り切ってたし、出演者たちは本当にみんな楽しそうでした。世代を超えた音楽を楽しむ形がそこにはありました!みんなすごく、先に希望を持つことが出来た。

一度は台風で倒れ、見事に復活した渡月橋を目の前にした中ノ島公園のステージで!
それだけですごい力が出たのを覚えてる。

それでもやはりご本人は大変だったと思います。当日の炎天下で休む間もなく動き回ってディレクションしてる彼の姿が今でも目に焼き付いて離れないです。私も小さいながらイベントを主催する身ですのでよくわかります。時にしんどい、でもほんとにやりたい事には希望が持てるんです。

あの日が、大西さんとイベントをご一緒した最後の日となるなんて。あの日に戻って、もう一度改めて「ありがとう。」と伝えられたら。

こうやって書いてるのは、私から見た「大西研治さん」という人を、もう一度落ち着いて、ゆっくりと思い出して、噛み締めて、留めたいからです。これが大西さんの全てじゃないです。きっと知らない色んな面があると思うんだけど、一部分として、残してくれた真実だからです。
そしてそれと同時に、自分に「先に行けー」とはっぱをかけるためでもあります。

2020年のイベントの後、コロナ禍は予測をはるかに飛び越えて、私たちをこれでもかと締め付けてきました。私もライブが無くなり先が見えなくなって、もうどうしようかと思いながら、でも曲を作る事を何とか止めずに、何とか漂うかのようにやって来て。
「3rdアルバムを作ろう」というモチベーションまで何とか辿り着いた。うちの社長とも話し合って、今の製作にかける思いや迷いや不安まで全てを相談できる相手は、大西さんしかいないと。この辛い時期をお互いに分かり合ってるからこそ!と、彼に相談しました。すると快く、信頼のおけるブレーンや知り合いの方々を紹介してくれると言ってくださり、心配ないとエールをくれた。

リリースの流れも掴みつつあり、気持ちもまた一段と入り、納得できる曲も、数曲増えた。そんな矢先の、訃報でした。本当に寝耳に水。死ぬような人じゃない!信じることが出来なかったし、心が受け入れる事が出来ませんでした。

いま一周忌で、実はやっと「ああ、もう、いないんだよね。」と社長と話しました。ほんとに、そんな感じで。本音を言うと、訃報を聞いた時からずっと3rdアルバムは時間が止まったままなんです。きっとファンの方々は「自分の曲だろ!自分のアルバムだろ!」とはっぱをかけたくなると思う。だってそうですよね、自分の作品だもんね。

ただ、アルバムを作るモチベーションって一人じゃ成立できない部分は確実にあって、うまく言葉には表せないんだけど、ポッカリと抜け落ちてしまったまま1年が経ってしまいました。

空からきっとのぞいてくれてるはずですよね。そして私の、曲を生み出す原動力は、経験と体験と、心の葛藤だから。(それと反抗心も。) だからこそ、超えていくところを、表現しなきゃ、超えられない自分も、たぶん「そんなもんやー」って見てくれてるはずなので、ちょっと力抜いていきます!

大西さんほんとにありがと!!(まだちょっと辛い〜 相談したい〜 けれども!)

One Love.

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